習慣の違いというのはジェスチャーにも現れています。イラン人に笑われるのは、自分を示すときの日本人のジェスチャーです。大勢の前では手を上げるかも知れませんが、少人数の時にはなぜか自分の鼻を人差し指で差していることと思います。これはとってもおかしな行為に思われているようです。自分を指すのが鼻だって・・・「きゃはは」ってな具合です。
ではイラン人はどうするか。右手で自分の心臓の上に手を当てる仕草をします。西洋人もそうですね、胸に手を当てるでしょう。東アジア人がどうするか忘れましたが、どうやら鼻を指すのは日本人だけかも知れません。この動作、他の国と比較するとどうにも滑稽に見えて仕方ありません。
日本人の特殊性はジェスチャーにもちゃんと表れています。「おいで、おいで」の意味で日本人がやるのは、手を前方に出して、手の甲を相手側にして、指を下にして引き寄せる動作をしますね。でも、これ西欧諸国の「あっちに行け!」のジェスチャーに似ているのです。まったく意味が反対ですね。 厳密には日本人のジェスチャーでも指の動きで引き寄せる感じが伝わりますから完全な誤解っていうのは避けられるでしょうけど、形だけみると非常によく似ています。
「おいで、おいで」のジェスチャーは手の甲を相手側にして指を上に立て、それをこちらに引き寄せるようにするのが世界では一般的です。下向きというのはちょっと意味が悪いので、反対の上向きで相手を誘うのでしょう。日本人のものは、「あっちに行け!」とは取られなくても、まるで犬に対して「こっちに来い!」というようなジェスチャーに見えてしまいますから、少し注意がほしいですね。
イランでは、何回も振らないで一回だけ日本人の「おいで」と同じジェスチャーをやると、「持って来い!」という意味になります。テーブルの上に手を置くような仕草です。「持って来て、ここに置け!」という仕草に見えませんか?
アメリカ人のやる親指を立てる仕草、イランでは「くそったれ!」のような意味になります。ブッシュ大統領がそのポーズをしていましたが、中近東の習慣を知らないと言う事でしょうか。同じ仕草を日本人がやるとボスの意味になるでしょうね。
イラン人の「はい」のジェスチャーは首を横に傾げます。まるで「いいえ」のようですね。(笑)でも 日本の「いいえ」のように横に振るのではありません。横に傾げるのです。日本人がやると「どうかなぁ?」、「怪しい・・」という仕草に近いでしょうか。でも、イランにいるとこの仕草でも「はい」に見えるから不思議です。
お金を示すジェスチャーも相当違いますね。日本人は親指と人差し指とで丸を作りますが、一般的にはお札を数える仕草の真似として右手の親指と人差し指とを使いますね。指で丸を作っても外国人はお金のこととはみなしてくれません。多分、男性ならエロいことを連想するはずです。
タイ人が挨拶の時に相手に対してお祈りのように手を合わせる仕草、私は好きです。敬意の表明にはその手の位置が心持ち高くなります。王族に対してはかなり高い位置で敬意を表明しているようです。日本人が自分に対してそれをやられるとまるで自分が仏になったようですっきりしませんけどね。
仏教徒のやる両手を合わせるお祈りの形は自分の心を落ち着かせてくれますが、イラン人の「どういたしまして」の意味で使う右手を胸に当てるというのもなかなかいいものです。利き腕の手を胸に当てるというのは心からという意味もあるでしょうが、攻撃しないという意味をも持つのでしょう、ものすごく平和な感じがします。イスラム教徒であるイラン人はそういう仕草をします、イスラムの国は治安が悪いなんて間違った宣伝には乗らないでもらいたいものです。