ずっと不思議に思っていたことです。ビールを飲むときにいつも思うのですが、缶ビールより瓶ビールの方が美味しく感じます。そうは言っても、瓶より缶の方がごみ捨てには便利だし、目隠しテストしたら味の区別はつかないとは思いますけど・・・
ところが先日、TVで「北大路魯山人」に関する番組をみて、ふと思いました。「食器は料理の着物」と気が付いた北大路魯山人ですが、あ、ひょっとしてこれかなと思ったのです。
軽いペラペラのアルミ缶から出てくるビールより、あの重厚でスベスベの瓶から出てくる液体の方が美味しそうに思えます。個人的には、コロナビールのような無色透明な瓶より、ハイネケンの緑の瓶の方が美味しく感じます。
ビールのグラスだって、お気に入りのものがあって、それもやはり味覚に影響を与えているように思います。ガラスが薄過ぎるのも厚過ぎるのも、どうもしっくり来ません。誇張すれば味まで違って感じてしまいます。ドイツで使われている陶器製のジョッキで飲んだら、これまたずい分感じが違いますから、ビール自体の印象も変るのではないかと思います。
茶碗でビールを飲むというのを想像したら、あまり美味しそうに思えませんね。やはり食器というのは大きな役割を持っているように思えます。私は、最上のものや贅沢なものを求めませんが、せっかくの食べ物や飲み物ですから、できるだけ大事に味わいたいと思います。
最近、缶ワインの紙パックワインが開発されているようですが、これも味覚に影響を与えるように思えます。今でも、コルクではなくて金属製の回すだけで開けられる瓶があるし、コルクでも本物でないものもあります。
「さあ、ワインを飲もう」と思い、コルク抜きからセレモニーが始まるとしたものなんですが・・・ 清涼飲料水のように開けられるというのでは・・・ これも時代の変化というのでしょうか。慣れれば、それはそれでいいとも思いますが、なんだか寂しいなぁと感じてしまいます。
やっぱり、最近スローライフといわれるように、ゆったりした時間の中で、身近なものを楽しめる余裕がほしいものです。食器だけでなく、ダイニングの照明や雰囲気というものも大事だと思うのですが、いつも多忙にしている家内をみていると、とてもそんなところまで気が回らないようです。(苦笑)
どうも謀略臭い大連立の話でしたが、小沢代表の傷は予想以上に大きいようです。今、代表辞任の記者会見があったところです。
大連立の提案を受け、どっちに転んでも非難されるという難しい立場になった小沢代表ですが、その場で拒否しないで持ち帰ったということでかなり非難を受けてしまいました。
大連立というのは、民主党が自民党に吸収されるという話ではないのですが、どうも日本人には大政翼賛会という悪いイメージがトラウマになっているようです。万年野党のスタンスに慣れている共産党、社民党の批判は政策参加という意味では、ほとんど意味がないでしょう。批判する政党としてその存在価値を発揮してもらえばいいのですからね。
二大政党というなら、民主党にも担当能力があるという実績を示さないといけないというジレンマがあると思います。実際問題、いつ衆議院選挙をやっても自民党が過半数割れを起こすまでにはならないというのがもっともらしい予測ではないでしょうか。
社民党のように自民党がやることはすべて悪というような意見を持つ野党と共闘するというのは難しいと思うし、参議院選挙の結果で野党の意見が生かせるようになったというところで満足しているようでは、政権担当能力を疑われてもしかたがないでしょう。
そもそも、民主党というのは、自民党に近い議員、社民党に近い議員が集まっているので、このままの状態ではいつまでもまとめることは難しいような気がします。
今回、自民党の苦境の中、誰が仕組んだか、大連立というショッキングな提案で民主党が敵失という姿になってしまったようです。
ここで転んではどうにもならない、と考え、起死回生の手に出るしかないのでしょう。それが小沢さんの代表辞任だと思います。所詮、タヌキですから、辞任が認められないという読みじゃないかなぁ・・・ 大連立の話は終わってないような気がします。
今回の福田・小沢会談、面白いですねぇ。まさに、タヌキとタヌキの化かし合いという感じです。演出した人は有力な政治家だと思いますが、それぞれに思惑がありそうでとても面白い展開です。
もちろん、話題は自民党と民主党の大連立というものです。福田さんの口から出たという報道ですが、多分そうなのでしょう。二大政党を目指した小沢さんから言うのは変な話だし、いくら根回しがあったにしても唐突過ぎます。
となると、損得という計算が働くはずです。福田さんの自民党は、何の法律も決められないという与党としての機能を失っているので、もはや恥も外聞もないという境遇を利用するのには抵抗はないでしょう。公明党との連立と言っても、選挙で負ければ、すべてはお仕舞いです。
大連立で民主党が乗ってこないだろうという読みがあっての話だろうと、私は思います。では、誰が得をするのか、そこが問題でしょうね。小沢さんが即座に反対すれば独裁的だという非難を浴びるだろうし、持ち帰れば意欲ありということになる。では、これは小沢さんに対して用意した罠なのでしょうか。
福田さんとしては、どっちに転んでも大して痛くない謀略なんじゃないかな。自民党は、公明党からの不信が生じるだろうけど、それは後からいくらでもカバーできそうです。自民党の苦し紛れの戦略ではないだろうかと思うのは私だけではないでしょう。
謀略というのは、本当に連立政権になるとしたら、小選挙区による選挙という問題があり、それを飛び越えて話が成立するとは考えられません。大筋を決めたら、後はなんとかなるなんて考えるという話でもないでしょう。
小沢さん側からすれば、党首会談を申し込まれ、密談と言われようが、本質的な話ができるなら望ましいだろうし、一国の総理大臣からの申し入れとあれば断る理由はないでしょう。そこで、唐突にすごい提案がなされたということになるのでしょうか。
その場で断っても非難されるし、持ち帰るという選択をしたのは、民主党が民主主義の政党であるという姿勢を示せば、非難は少なかろうという計算だったと思います。その場で反対すべきだという意見がありますが、党首とはいえ、そこで重大な判断をしてしまうのは後で問題になりそうです。
そこまでの展開を読んで、党首会談、そして大連立の提案というシナリオを書いた人はすごい人ですねぇ。不利になるのは民主党、失うものはほとんどない自民党、となると陰の人物は、大物政治家でしょうか。
ちょっと見方を変えると、現在防衛省にまつわる不祥事がいろいろありますが、その問題の深刻さを薄めるという効果もあるでしょう。だから今、というタイミングなのかも知れません。政治の世界というのは恐ろしい世界ですねぇ。
一般の人を巻き込む無差別なテロをなくそうということに反対を唱える人はまずいないでしょう。テロ撲滅は急務だと思います。ただ、「テロとの闘い」という表現にはどうしても引っ掛かります。広い意味での「闘い」ということなら分かりますが、本当に武力をもって鎮圧するという意味での「闘い」ということなら、そんなことが果たして可能なのかという疑問を持たずにいられません。
私はキリスト教徒ではありませんが、「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」といったのはイエス・キリストだったはず。米国はキリスト教徒の多い国だと思いますが、この精神よりも「やられたら100倍にして仕返しをする」という考えの方が支持されているように思えてなりません。
真珠湾攻撃で3,000人を失えば、広島で30万人を殺すという仕返しをするし、911の同時多発テロで3,000人の被害者が出たら、その仕返しの矛先を関係のないイラクに向けて占領してしまうし、その過程でイラク人の15万人あるいはそれ以上が亡くなったと言われています。
でも、問題はテロをなくしたいのでしょう。テロリストは国という単位じゃないから、テロをやりそうな人たちを殲滅しない限り、なくならないし、暴力で無理やり鎮圧しても次から次へとテロリスト予備軍を生み出してしまうことは明らかだと思います。
米国の政治家がそんなことも分からないとは考えられないので、分かった上でやっているとしか思えません。テロをなくしたいんじゃなくて、自国の武器を使いたい、テロリストに武器を売りたいんじゃないかとさえ勘繰ってしまいます。実際、武器をなくそうというよりも反対にどんどん製造して売っているという現実があります。直接テロリストに売らなくても、テロリストたちがそういう武器を手に入れることは難しいことではないと思うのですが。
欧米の人たちの精神には、歴史的に何に対しても「征服」という考え方が根付いているようで、アジアの人々の「調和」、「協調」という考え方とは対照的だと思っています。ヨーロッパでは、その結果、小さな国がどんどん出来てしまったといえるでしょう。今はその反省か、EUという大きな集団としてまとまろうとしていますが、これは進歩と捉えたいものです。
日本政府は、米国の現在の「テロとの闘い」に本気で協力する気なのでしょうか。同盟国として協力するのはある程度仕方がないと思いますが、そもそもそのやり方が間違っているとしたら、日本まで果てしない「テロとの闘い」に引き込まれるだけになってしまうでしょう。米国のやり方とのお付き合いには慎重であってほしいと思うのでは私だけではないと思います。
日本の政治家に理念や良心があるなら、米国に向かって「今のやり方は間違っている」というメッセージを勇気を持って発信してほしいものです。
前回の衆議院選挙の際、自民党が3分の2の議席を得、私はとうとう少数派の人間になってしまったと感じたものです。あの時、私は自民党の大敗を予想したのですが、見事に裏切られてしまいました。自民党の大勝について冷静に分析すれば、自民党がそれほど多数の票を集めた訳ではなく、小選挙区制がその理由だったのですけどね。
一方米国では、あのブッシュ大統領が再選されるという、これもまた信じがたい結果が報道されました。私は、自分自身がかなり左翼的な考えになってしまったのかと疑わざるを得ませんでした。そして、日本の小泉首相は相変わらず米国との協調を主張し、有頂天に見えたものです。
米国のイラク攻撃の際、私は日本のどの新聞も信用できなくなり、世界中の新聞の論調を気にしたものです。私は、あのときは基本的にユーロニュースのスタンスを信用していました。要するにイラク攻撃は間違いであるということです。あれから、数年経った今、米国民はようやくその間違いに気がついたようです。
そして、日本国民もまたどうもおかしいということに気がつき始めたようです。郵政民営化という争点だけで衆議院選挙をやるなんてそもそもおかしいのに、日本国民はまんまとその作戦に乗せられてしまったようです。自民党に3分の2という議席を与えてしまったと、多分後悔したことと思っています。今回の参議院選挙の投票結果をみると、日本国民にはそのときの反省があるのではないかと思われます。
結果、自民党は多数の力を頼りに次々と法案の強行採決を実行したのですから、日本国民はこれは困ったことになりそうだと警戒心を持ったことでしょう。今回の参議院選挙では、いい意味でのバランス感覚が働いたのではないかと思います。
ということで、私が少数意見の持ち主だったのではなく、日本国民の方が気が長かったのだと思っています。少数意見といえば、日本共産党という政党はすごいものです。ソ連が崩壊しても、他の国で共産党という名前を止める政党が続出しても、長い間、少数派を保ち、存在し続けているのですからね。
私は、それほどユニークな意見の持ち主にはなれそうもありませんが、自分の意見だけは持ち続けて行きたいと考えています。
麻生太郎という人って書いてみたから、ついでに小沢一郎という人についても書いてみたいと思う。私の知性では、この人もよく分からない人の一人である。多分、マスコミに変な報道をされるので、極力マスコミの犠牲にならないようにしているんじゃないかと思ってしまう。どこか変な政治討論番組に出演しないというのは、それはそれで戦略じゃないかと思う。
民主党の党首になってからというもの、ずい分変ったというか、優しい雰囲気を一生懸命出しているようにみえる。本当は怖い人なんじゃないかと思ってしまうほど優しく映る。良かれ悪しかれもっとも政治家らしい政治家だった田中角栄氏の影響を強く受けているということらしい。それが集金能力ということでないといいと思うのだが・・・
自由民主党の中でもいろいろな考えの人たちが集まっているようだが、民主党はそれ以上の寄り合い所帯にみえる。そんな政党の党首では、口が重たくなるのは仕方がないような気もする。右にも左にもさぞかし不自由なことだろうと思う。政治家は評論家じゃないんだから、口だけ達者でも困る。
今の民主党の勢いでは、小沢一郎という人はすごい戦略家にも映るが、そもそもは自民党の敵失による結果ともみえるから、実際のところはよく分からない。今、重要課題になっている自衛隊の特措法に対する取り組みをみれば、真価が分かるようになるかも知れない。まずは、ガチンと反対表明をしたけど、これからどうするのだろうか。
20年以上前、自民党が地方の強い支持をとりつけていたが、小泉改革のせいで自民党は地方の支持基盤を完全に失ったようにみえる。そこを上手くついたのが民主党のようで、見方を変えれば、民主党が昔の自民党にみえなくもない。野党が保守的で、与党が改革を叫ぶというなんだか変な政治が現状なのではないだろうか。
小沢一郎氏が、今回の参議院選挙の大勝で浮かれていないというのは好ましい姿に映る。本当の勝負はこれからだと考えているからだろう。その勝負というのが、今の政党の姿でいくのかどうかすら、読めないというのが小沢一郎という人の不気味さかも知れない。政界再編すらやりかねないと思わせるものがある。
ともあれ、民主党の参議院選挙大勝のあと、国会での出方が気になる。与党、政府を攻撃するだけでは済まない議案が多いから、目が離せない。珍しく政治が面白くなったといえば、それはそうだが、面白いでは済まされない問題が山積している。
小沢一郎という人が本当の政治家、戦略家なのかどうか、国会のやりとりで観察させていただこう。
新しい自由民主党の幹事長の麻生太郎という人は不思議な人だと思う。いろいろな発言を聞いていると、小泉改革には必ずしも賛同しているようにはみえない。なのに、小泉内閣でも閣僚になっているし、小泉首相の後継者である安倍内閣でも重要な役職についている。
自己矛盾を感じていないのか、大志のために猫をかぶっているのか、国民を欺くために支持されやすい表現を選んでいるのだろうか。親しみをもたれる表情をしているせいか、マスコミも国民的に人気があると書いている。麻生太郎氏をバカだと一蹴しているブログもあるが、私にはそこまでは分からない。
麻生太郎氏は自由民主党の危機を感じて、安倍首相をサポートしようと決心したようにみえる。選挙というもっとも素直な国民の声を無視する安倍首相を支持するというのは、民主主義を尊重しない自由民主党というものを肯定したことにならないのだろうか。安倍首相をサポートするというのは自由民主党の内部分裂を恐れてのことかも知れないが、分解寸前の船に塗装し直しただけに映るのだが。
新しい閣僚を乗せた飛行機は離陸しようとしているが、ずい分重たい閣僚を乗せたようで、離陸してどこに飛んでいくのかまったく読めない感じである。麻生太郎という人が上手く軌道に乗せられるのだろうか。しかし、その前に、いったいどこを目指しているのという大きな問題がありそうである。早い話が、小泉首相時代のどこを肯定してどこを否定するのか、ここがまったく説明されていない。
ついでに書いておきたいのだが、今回の参議院選挙では自民党の強行採決で国民が大いに心配になったのだろうと思われるが、その点については安倍首相は法案を成立させた実績と考えているため、反省材料にはされていない。野党の勢力が増えたのでこれから対話すると言い出しただけである。
一触即沈と言われている泥舟内閣だが、麻生太郎氏はどうやって活路を見出していくのだろうか。彼の話をもっと聞いてみたい気がする。
いろいろ書いて来ましたが、私の言いたいことは、タイのような発展途上国から学ぶことがあるということです。しかも、今回の私の滞在では、昔の日本を思わせる部分が多く、懐かしさという部分を除いても、日本では何かが失われたという感じがあり、その何かというのが、どうも幸福感につながるような気がしています。
まさか誤解されないでしょうけど、私が幸福感がなくて、タイにそれをもらいに来たということではないですよ。12年振りに帰国して、なんだか変な日本になっているなぁと感じるから、その「なんだか変」というのを知りたくてタイの田舎に長期間の滞在という計画を立てたのです。
「資源がないから長時間労働になり時間がない」、「土地がないから狭い敷地、小さな家で我慢しなければならない」ということで諦めるのもいいのですが、それならせめて精神的な健全さを保つ方法はないかと善後策を考えないといけないでしょうね。
「きれやすい」、「いじめ問題」、「親が子を殺し、子が親を殺す」、「犯罪の低年齢化」、「無差別殺人」、「PTAからの常識のない要求」、「マナーの低下」、「マニュアル人間」、「孤独死」、「熟年離婚」、「儲け主義」、こういう問題ってマスコミが騒いでいるから問題だと感じるだけなのでしょうか、昔からあったといえる事なのでしょうか。
狭い日本で、今の若者たちが出した結論の一つに、関係のない他人の存在はみえないというのがありそうです。これは狭い国土において、ある意味賢い方法かも知れません。関係のない人がみんな透明人間になってしまえば、結果的に大きな空間を得ることになりますね。
これは誰かが発案したことではなさそうです。自然発生的にそういう人たちが増えて来たように思われます。若者に限らず、マナー知らずの大人がいるから自然にそれを真似するようになったのかも知れません。では、どうして周囲にいる人たちを見なくなったのでしょうか。
そうすることによって居心地がいいのか、関係ないものは関係ないから合理的なのでしょうか。他人に迷惑を掛けてはいけないということは日本人はかなり敏感だと思います。電車の中で携帯電話を使ってはいけないなんていうのは、私は他の国でみたことがありません。個人の良識で対処すればいいと思うのですが、日本では規制ですからねぇ。
マナーの悪い人は、自分がマナーが悪いとは思ってないということはあるでしょう。要するに気がつかないでやっていると言えるでしょうね。なら、どうしてそういう教育、躾を受けなかったのでしょうか。となると、矛先は、学校というよりもむしろ親に向かって行きます。結局は、親の問題じゃないか、つまり私を含む世代の問題なのかも知れないのです。
ひょっとして、日本人には「恥の文化」が薄れて来ているのかも知れません。私は、他人が知っていて、自分が知らないことは恥だと思うのですが、どうもそうでもないようです。マナーが悪い人は、多分、そうは思わないのでしょう。知らないものはしょうがないということかな。
こういう仮説はどうでしょうか。昨今の日本、自分で物事について考えない人間が増加し、好きなこと以外は言われたことしかやらないという人間を育成してしまった・・・ なんだか恐くなります。
背景1:受験・・・回答を自分で考えないで、傾向と対策を記憶してしまう。
背景2:TV・・・・受動的に情報を得ることに馴れ、能動的に考えなくなった。
TVに時間を奪われ、本を読まなくなり、その結果想像力が欠如した。
背景3:ゲーム・・すべてが画像として提供され、想像を楽しむ余地がなくなった。
背景4:映画・・・自分で想像するよりも面白い映像が見られるようになった。
背景5:商品・・・求めるものを買うだけで済むようになった。工夫の余地がない。
前にタイでの赤ちゃんの周囲の情景を書いてみましたが、この赤ちゃんがどういう一生を送るのかはまったく分かりません。タイは日本からの経済支援は受けられないほど発展しましたが、まさに発展途上国でした。下宿のおばさん、おじさんは義務教育しか受けていないので、タイ語の読み書きがやっとです。
でも、その子供たち(もう既に大人ですけど)は、小学校高学年から英語を習っています。そして、さらにその子供たちは、幼稚園から英語教育を受けていると聞きました。タイ人にも高学歴者がずい分増えて来ています。もともと外交のセンスは抜群のタイですから、外務省の人材をみると感心することもあります。
タイ国というのは、私の目からは、自分で努力するというより、外部の力を利用しようとするのが得意なようにみえます。歴史的にもそうだと思います。外国資本や技術を受け入れても自分のところでしっかり利益を上げるというような方針にも映ります。日本人は真面目ですから、欧米先進国並みになるために基本からすべて知識や技術を蓄積してきたのとは大違いです。
タイ人が英語を勉強するのは、そういう意味でも重要なことだと思います。外国勢と対等に渡り合うためには国際語である英語の力がどうしても不可欠なのでしょう。この姿勢も日本人とは正反対な感じがします。日本では特に英語を必要としないし、ほとんどあらゆる情報が日本語で手に入ります。こういう国は先進国の中でも少ないと思います。それだけ過去からの蓄積があり、更新もされているということですけどね。
これまでは、普通の日本人として普通に過ごしている場合、英語はほとんど必要なかったと言えるでしょう。しかし、日本でもグローバリゼーションはどんどん進み、その勢いはさらに拡大傾向にあります。日本にも外資系企業の進出が目立つようになりました。
今や国内で働くにしても、英語が必要な時代になっていると思います。もちろん英語ができるというだけでは、もはや希少価値はありませんから、教養として能力として身につけるべきことだろうと思います。海外旅行程度でしたら、簡単な英語で済みますから、駅前なんとかで十分習得できることでしょう。問題は、「はーい、たけちゃん」の世界じゃないと思います。
きちんとした英語を、日本語訛でもいいから堂々と話せる方がずっと重要でしょう。韓国人はしっかりと韓国語訛の入った英語を堂々と話しています。シンガポールに至ってはもう母国語のようです。私は、いまだにシンガリッシュが苦手ですが、彼らは私の方が英語が苦手だと解釈しているようです。
話が大分逸れてしまいましたが、私の言いたいことは、発展途上国のようなタイでも得意な分野というものはあるということです。日本人は、日本が経済大国であること、高度な技術を持っていることで誇りに思っていますが、自分自身がどのくらいそれに貢献しているか顧みる必要があるのではないでしょうか。
東南アジアでよくみる光景ですが、やたら横柄な日本人をみることがあります。多分、こういう人たちって結構いるんじゃないかな。あるレストランでのことですが、このレストランのスーパーバイザーは私の友人ですが、彼はこういう日本人客に対して嫌な顔を少しも見せずに対応していました。同じ日本人としてこちらが恥ずかしく思いました。
日本国の首相、参議院選挙で歴史的な惨敗を喫していながら、その責任は取らない上に、国民は、「美しい国、戦後レジームからの脱却を支持している」と発言できる神経が不思議でならない。
一回でも国民の審判を受けたことがあるならまだしも、前首相の後釜になっただけで、国政選挙は今回が初めてのはず。
国民の代表者といえば国会議員という論理なのだろうが、自分の党の議員の意見ばかり聞いていたのでは、判断が間違うというもの。それにしても、直接国民の声を聞くことのできる選挙結果を得て、それを無視していられるというのはどういう神経なのだろう。
どうやら、日本という国はとんでもない人物を首相に持っているようだ。
(追伸)
この疑問、当然ながら、私だけじゃないようで、首相との記者会見で質問になったそうです。
三十日の記者会見では安倍首相の「政策の基本路線について国民の理解を得られた」という発言に「その根拠は何か」という質問が飛びました。答えは「演説の聴衆の反応で分かった」。首相一人の肌感覚でした。
取り巻きの反応を見て国民の意思と感じたというのだから、お粗末。