初めての国イランでの仕事の開始です。2002年1月7日にテヘランに到着しました。雪のぱらつく寒い冬の夜のことでした。派遣先の環境局テヘラン州局はテヘラン市の東端にあります。私は到着後1週間でアパートをみつけ賃貸の契約をしました。アパートから州局までは約25kmの距離です。通勤ではテヘランの端に向かうことになり、朝夕の渋滞とは反対方向なのでこの点ではラッキーでした。高速道路なので30分の通勤時間です。
(環境局テヘラン州局)
(副大統領(左)と州局長(右))(当時)
仕事の方は、まずはC/P(カウンター・パート)と呼ばれるイラン側の相方の紹介から始まります。このC/P当初は一言も英語を話さなかったので、この先どうなることかと心配しました。そこでペルシャ語の分からない私は、早速秘書兼アシスタントの女性を雇いました。
(C/Pとアシスタント)
当初は本館に執務室が与えられましたが、そのうち日本人開発調査チームも業務を開始することになったので、日本人グループには別館の方にオフィスが与えられました。私もそちらにオフィスを移していよいよ業務開始です。業務の方は、まず現場の様子を知り、それからイラン側との協議の上ワークプランを作成します。
(別館)
(執務室)
(大気汚染測定局)
テヘランの大気汚染測定の実態を視察し、その測定結果をみると、信じられないような数値が並んでいました。私がC/Pに「この測定結果では信頼性がない」と言うと、C/Pの答えは「ないよりまし」というものでした。これが私の仕事のスタートになったのです。
政府がやっている測定値で「ないよりまし」というのはないだろう、測定値が実際より低ければ住民を危険に曝すし、高ければ嘘をついたことになり信用を失うことになる。ということで、信頼できる大気汚染の測定値の管理というのが、私の仕事の大きな課題になったのでした。
(つづく)