日本へ帰ってみて驚くのが、日本人って物を書くのが好きな国民だということを知ったことでした。私は発展途上国ばかり滞在していたので、ちょっと意外な驚きでした。それだけ日本人の教育水準が高いということなのでしょうね。発展途上国では話題になる文盲なんて、そもそも存在しない日本ですから、当然なのでしょう。
ところが、最近の日本では出版業界の不況が伝えられています。本を読む人の数が減り、本の販売部数が減っているのでしょう。一方、こうしてインターネットでも文章や小説もどきは読めますから、本というものが不用になったと言ってもいいかも知れません。そういう状況下では、出版業界は当たる本しか出版できなくなりますね。人気作家で売れるという保証のあるものばかりが出版されることになる訳です。
私が思うに、人気作家でも、一流の文芸作家でも、読む人にはそれぞれの好み、読みたい本というものがあるので、100%いいものはいいという評価を得ることはできないということがあると思います。ノーベル文学賞をもらった川端康成氏の小説を好きな人が何%いるのかはよく分かりませんが、国民に1%でも熱狂的なファンがあればベストセラーになると言えるのではないでしょうか。
そういう当たり外れの世界が出版業界なのでしょう。当たる作品を予想することは至難の業であり、当たらない作品を流通させたら赤字になるだけ・・・ でも、これは出版業界の問題ではなくて、ほしいものが手に入らないとしたら私たち読者にとって大きな問題のはずです。個人個人が必要とするものが違っているはずだし、特殊な作品でも求める人はそれなりにいるはずです。
私の言いたいことは、ネックになっているのが、本にするという行為、つまり印刷・製本に掛かる費用、そして流通に掛かる費用というものではないかということです。インターネットがこれだけ発達した時代ですから、自分が求めているものがどこかで読める、本でなくてもいい、ネット上でもいいと思います。そして特に本としてほしいものは注文できるというのがいいかな。
需要と供給との関係がまだまだ上手く合致していないのが出版業界なのではないでしょうか。amazonという便利なサービスが受ける理由が理解できますが、もっともっと専門書に至るまで検索できて、自費出版やブログなどでの著作まで検索できると便利でしょうね。そういう意味では検索サイトというのは時代のニーズに見事に合致しているのかな。今や、ニュース、外国語、映画、ドラマ、音楽、専門知識、TV番組、電車のダイヤ、地図、語源、歴史など何でも調べることができますからね。
ペーパーレスの時代、PCの画面で小説を楽しむということが当然のことになりつつあるのでしょう。出版業界が構造的に不況になっていることが理解できるというものです。
ところで、私の下手な小説やエッセイ、これらを本にするというのは自己満足としてはいいのですが、流通させて買ってもらうというのにははなはだお稚拙なものですから、売り物ではなくて無料で読んでもらえればいいという感じのものだと思います。こういう素人の小説、エッセイなど、読みたい人に無料で読んでもらえる方法ってないのでしょうかね。ブログに掲載して、検索でみつけてもらう、それしかないのかなぁ。