2004年に主催したこのワークショップのフォローアップとして、テヘランに次ぐ第二の都市とも言うべきタブリーズ州への技術移転を開始しました。タブリーズ州からの参加者が特に熱心だったので、それに応える形でテヘラン州以外の他州への技術移転を開始したのです。
(タブリーズの環境局州局)
(タブリーズの大気汚染情報センター)
(タブリーズでのワークショップ)
(実践的トレーニング)
そしてこの間に、環境局本部にあるワールドバンクプロジェクトから新規業務として2年間の専門家要請が出されたのです。環境局テヘラン州局に対する技術移転業務は3年間で終了しますが、環境局本部に移っても引き続き技術的面倒をみることができます。
テヘラン州局での3年間ではデータ管理以外にも業務をこなしていますが、日本人チームとの連携も大切なものでした。悪戦苦闘する日本人チームですが、短期派遣で業務をこなしに来るのでなかなか上手く仕事が進まないという問題点を抱えていました。
2年目に目一杯手を広げたパイロット・プロジェクトですが、どれも遅れに遅れ、大変だったようです。3年目に入る前に、私はより実効性のあるものにということでターゲットを絞って実績を上げるようアドバイスをしました。思うように進まない日本人チームは大変な苦労だったようですが、なんとか業務をまとめて3年間の仕事を収束させることができました。
一方、私の方も万事が順風満帆という訳にはいかないようで、環境局本庁の活動拠点を移動してという計画に予想もできない展開が待っていました。新しい任期が始まり、本庁のワールドバンクプロジェクト(イラン側)に執務室の提供を求めましたが、そのやり取りの中でも相手側の様子が変なのです。これまで友好的だったものが妙に高圧的なのです。
イラン人コーディネーター(プロジェクト責任者)と業務計画について打ち合わせると、私の提案の50%をワールドバンクプロジェクトに、50%を他の州に対して技術協力したいという提案をまったく受け入れません。私は全国の各州に対して技術協力を拡大するという業務計画で仕事を始めることになっていますから、ワールドバンクプロジェクト側の主張する100%協力では話が違ってしまいます。ワールドバンクプロジェクトの対象州は4州にしか過ぎません。
私が内心恐れたのは、ワールドバンクプロジェクトはまず遅延するだろうという予測があったからで、100%巻き込まれてしまうとこちらの進めたい技術移転が足止めになってしまうということでした。技術協力を受ける側の強硬姿勢にはびっくりしましたが、世の中にはいろいろな人がいるものだと思わざるを得ませんでした。
100%協力でないとダメ、そして高圧的な態度、これらを考えると、どうもこれは日本が技術スタッフを送ってくれたものと解釈しているのかも知れません。完全な妥協点のないまま時間だけが経っていきました。唯一調整役になれる環境局ナンバー2の局次官はメッカに行っていて2月までは帰って来ません。
私はこの間、タブリーズ州への技術移転作業を進め、また同時にテヘランの隣のカラジ市に対する技術移転作業を開始していました。マイナス10度のタブリーズ出張はかなり辛いものでした。
(冬のタブリーズ:飛行場にて)
要請書の出された配属先との衝突ということで、私がイランに来て初めて業務上の本格的な窮地が訪れたのでした。
(つづく)