ある田舎でのお話です。村の大通りにはいろいろなお店が並んでいます。その中に二軒並んで鍛冶屋があります。二つともほとんど同じ大きさで刃物や農業用の道具などを扱っています。そして、両方とも家族だけで仕事をしていました。
ある日、片方の鍛冶屋の親父さんが突然心不全で亡くなってしまいました。後を継いだ息子はもう30歳になっています。鍛冶屋の仕事を引き継ぐことにはそれほど問題はありませんでした。しかし、この息子さん、トンという名前ですが、大変頭が良く野心家で以前から親父さんの仕事のやり方に疑問を持っていたのです。
トンはこれまでのものよりも格好がよく性能のいい刃物を作りたいと考えていました。もちろん、メンテナンスなどのサービスも重要だと考えていました。そこで、村でぶらぶらしていた若者を数名集めて教育を始めました。トンはそれ以外にも良質な原材料を手に入れるため、奔走しました。
トンは隣の雑貨屋を買収して鍛冶屋の規模を大きくしました。店の改修をしている間に村の若者は必要な技術を学び、トンの指示に従い、これまでにないような格好のいい刃物をいつくも製造しました。店の改修が終わる頃、ショーウインドウにはピカピカでいかにも切れ味の良さそうな刃物がいくつも並びました。
村人も、これではトンの鍛冶屋に行くというものです。トンの思惑は当たり、どんどんお客が増えました。噂を聞いた隣村からもお客さんが来るようになりました。トンは頭がいいので、売りっ放しではお客さんを失うと考え、アフターサービスにも念を入れました。そして、なんでも迅速にやるというモットーを貫いたのです。
それに反して、いままで通りの営業を続けている隣の鍛冶屋、親父はタンと言い、息子はポーンと言いますが、従順な息子と頑固な親父ということで、従来のやり方を変えません。トンのお店のお陰でお客の数が減っても動じることはありません。しかも、夕方になるとさっさと店を閉めてしまいます。それでも、食べて行くことには困らないほどの収入はあるようです。
トンのお店はどんどん繁盛しました。トンは村でも有数のお金持ちになり、使用人の数も増えて行きました。裏庭にも設備を増やし、ますます製造に励んだのです。ピカピカで洗練されたデザインの刃物、しかもしっかりとアフターケアーしてくれるし、頼めば残業してまでも急いで仕事をこなしてくれます。店が繁盛するはずです。
トンのお店の評判を聞いて、さらに遠方からのお客さんが増えました。変化が起きたのは、そんな時です。トンの村は刃物で有名になったので、そこへ競争相手が進出して来たのです。トンのお店の倍もあるような大きさの建物が建設され始めました。しかも見たこともないような設備まで持っているようです。
これを知ったトンは、対抗策を練りました。トンも事業拡大、事業の効率化、サービスの向上、増えた従業員にはマニュアルまで用意しました。新しい商売敵は「サイアム・トゥールズ」なんてハイカラな名前をつけられていました。トンのお店は、「鍛冶屋カナック」と呼ばれているだけのものでした。「カナック」というのはトンの姓です。
「サイアム・トゥールズ」の経営者は、中国系の人のようでした。商品の値段は安く、しかも品揃えも豊富、アフターサービスもトンのお店に負けていません。トンの対抗策も空しく、トンのお店のお客の大半が「サイアム・トゥールズ」に行ってしまいました。
一方、頑固親父タンの鍛冶屋では、親父と息子のポーンが話をしていました。
「ねぇ、親父さん、この村に大きな鍛冶屋が二つもできちゃったけど、うちはこれでいいの?」
「別に喰うに困っている訳じゃない。心配することはあるまい」
「トンとは同い年だけど、頑張っているのを見ると羨ましいな」
「おまえは鍛冶屋なのか、商売をやりたいのか?」
「お金持ちになりたいな」
「お金持ちか、なにかほしいものがあるのか?」
「ほしいものはいろいろあるけど、お金持ちっていいんじゃないかな」
「余分な金を稼いで何が面白いものか、アホなことを考えていないで、その分いい仕事をしな」
タンの鍛冶屋には2,3個しか刃物は置いてありません。ほとんどが注文で作る仕事をしているのです。お客さんは馴染みの人ばかり、お客さんも頑固な人が多いようです。
トンの鍛冶屋と「サイアム・トゥールズ」は熾烈な競争を演じています。お互いに値引きをするので、薄利多売の様相を呈して来ました。大変なのは従業員です。毎日が残業、残業です。それでも、村の評判はますます広がっていったので、お客さんの数は増加しています。かなり遠方から訪ねて来る人が増えました。
もともとのんびりした村ですから、トンのところで働いていた若者たちは仕事のきつさに音を上げ始めました。トンはせっかく育てた従業員ですが、無理に引き止めませんでした。代わりにどんどん新人を採用し、教育をし、働かせたのです。働き手はいました。しかも、噂を聞いて来る人にはある程度の技術を身につけている人も少なくなったのです。
噂では、サイアム・トゥールズでは人件費の安い外国人を使っているようでした。トンの悪戦苦闘は続きます。売れ行きは上がっても、利益が伴わないという状況になって行きました。従業員にはサービス残業を強いるなど、ますます労働環境は厳しくなり、従業員の入れ替わりはますます激しくなりました。
トンは、今では村の周辺の大きな会社を訪ね、大量の注文を得ることに奔走していました。サイアム・トゥールズの営業活動も活発で、競争は熾烈なものです。そして、ある日、県からの発注のすべてをサイアム・トゥールズに取られるという結果になってしまいました。
営業活動の失敗にショックを受けたトンは自分の店に戻りながら呟きました。
「私の夢だった事業の拡大、これまで成功して来たのに、得られたのは、多忙さだけ
「昔からの仲間は辞めてしまったし、もういくらやっても儲けが出ない状況になってしまった
「これまでの仕事でそれなりにお金は貯まったけど、それがなんだっていうんだ
「従業員には鬼と陰口を叩かれ、結婚することも家族と楽しむ時間もない」
自分の店に戻ろうとしたトンは、ふと隣のタンの鍛冶屋の様子が気になりました。これまで遮二無二働いてきて、タンの鍛冶屋のことはすっかり忘れていたのです。トンとタンとは別に喧嘩した訳でもなく、トンの亡くなった親父とタンは仲のいい友達同士だったのです。
トンがタンの鍛冶屋を覗くと、そこにはタンとポーンが働いていました。お店は相変わらず家族だけでやっているようです。ポーンがトンをみつけて声を掛けました。
「やぁ、久し振りだね、トン」
「うん、お久し振り」
「相変わらず、忙しそうだね」
「ああ、忙しさだけはいつもと変わらないかな。どう?こちらの商売の方は?」
「うちは相変わらずさぁ、少ないお客さま相手だしね」
タンは無言のまま二人のやり取りを聞いているようでした。トンが店に置いてある3個の刃物を見ると、無骨で重厚な感じがしていて懐かしい感じがしました。今、トンが扱っている刃物とは雰囲気がずい分違っています。
このときトンの脳裏をかすめたのは、県の担当者から言われたことです。トンの店の製品の性能に問題があるというものでした。薄利多売になり次第に品質が落ちてしまっていたのでした。腕のいい職人は何人も辞めていったし、早急な建て直しは難しい問題です。
トンの店の刃物の性能がいいという評判はもう過去のもになってしまったようです。これからは粗悪品という評判が立つかも知れません。県からの受注ができなかったことは大変な痛手なのです。トンは、ふと質問をしてみたくなりました。
「ねぇ、タンさん、おたくはいまだに古い材料で刃物を作っているけど問題ないの?」
「何を言っているのかね、材料が新しい、古いという問題じゃないだろうが」
「いや、まぁ、そうだけど・・・」
「そこの刃物の一つを手に持ってみればいい」
トンはタンに言われたとおり、一つの刃物を手にしてみました。実に重厚な刃物です。重くて機能的にどうなのかとは思いましたが、持ったときの迫力にはすごいものがあります。そしてトンが亡くなった親父と一緒に作っていた頃の刃物を思い出しました。
タンが言いました。
「刃物は単なる道具じゃないさ、魂が入っていなければ意味がない」
「魂ですか・・・」
トンは自分がただ格好のいい刃物をたくさん用意し、売りさばいていただけのことだと思いました。新素材を使ったとは言え、品質はいまいちなのでその分アフターサービスをして評価を維持していただけのことのようです。
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その後、このお話どうなったかといいますと、隣町に外資系の巨大スーパーマーケットが進出して来て、輸入ものの高性能の刃物類が販売されるようになりました。その煽りを受けて、トンの店もサイアム・トゥールズも店を閉鎖したのでした。
タンの鍛冶屋はどうかというと、こちらは相変わらずの仕事振りです。魂を込めた刃物を求める人に合わせて作り、提供するという昔ながらの仕事を続けています。
(おわり)