国際協力の現場で働く専門家ですが、そのような専門家はどこにいるのでしょうか。開発途上国の需要に合わせた専門家ということですから、相手国政府に対して技術移転できる人が専門家と呼ばれるべきでしょう。測定機材や分析機材を使う専門家を例に挙げれば、機器メーカーの技術者でないことは明らかでしょう。機材を活かすことのできる行政経験を持つ専門家が相応しいものと考えられます。
行政経験というと公務員を指すことになりますが、公務員と専門家という言葉とでは少し違和感があるかも知れません。公務員というと頻繁な人事異動の中で行政実務をこなす人というイメージでしょうか。でも、公務員の中にも研究機関に勤務する人もいますから、専門性の高い職種もあります。
本質的には、需要に合わせて最適な人材を官民を問わず探して派遣するというのが、もっとも望ましいことでしょう。現実には、そういう人がいても所属先が派遣に協力的でないという場合が多いのですけどね。優秀であればあるほど難しいというジレンマもあります。
少し脱線するかも知れませんが、公務員と専門性について触れておきたいと思います。公務員の特に技術系でも、ある課題に関して専門であるということはまずありません。しかし、国でも地方公共団体でも、問題のあるテーマに関しては大学教授などの学識経験者から構成される専門員会なるものを組織して、効率的に情報収集を行うことができます。これは役所の持つ公共性という大きな力だと思います。民間では、相当な報酬を用意しないとそんなことはできないでしょう。
ですから、公務員でもそのような仕事を担当した職員は相当な専門性を有する人材に育つものです。しかも、行政の人間ですから研究一筋というのとは違います。こういう人材は、まさに国際協力の専門家として相応しいものと考えられます。ただ、そういう人材が派遣できるかどうかという別な問題があります。所属組織が認めなければ専門家としての派遣はありません。
一方、国でも地方でも技術的な仕事を民間コンサルタント会社に委託して進めるということがあります。そういう仕事を請け負うコンサルタント会社の人たちは、自分たちこそ専門性があると自負していることと思います。実際、多くの技術的仕事がこういうコンサルタント会社によって進められています。行政はその結果を利用するということになります。
ちょっとここで、私の個人的な意見を述べたいと思います。日本のコンサルタント会社の地位はどうしてこれほど低いのでしょうか。常々疑問に思っています。医者、弁護士に匹敵するような特殊技術、能力を発揮して仕事をする割には、お金で雇われているという扱いを受けています。私の言いたいのは、この点ではなくて、むしろそのせいか日本のコンサルタント会社は卑屈になってしまっているように見受けられるということです。
国はともかく、地方公共団体ではコンサルタント会社の担当者の方が学歴が高いということは普通に見られることです。それでも、お金を払う方が偉いという昔からの概念のまま扱われているのがコンサルタント会社ではないかと思ってしまいます。私は役人時代、コンサルタントの会社のスタッフであっても能力のある人にはそれなりの敬意を払って対応してきたつもりです。
健全なコンサルタント会社もありますが、国際協力の仕事の中でも、頻繁に談合やら不正を行って指名停止処分を受けているコンサルタント会社のいかに多いことか。これが、私の言う卑屈になってしまっているという結果です。今はお金の世の中、私がそんなことを言っても、何も変わらないかも知れませんけどね。
コンサルタント会社にもピンからキリまでありますが、国際協力分野にも需要に合わせていろいろなコンサルタント会社が存在しています。ゼネコン並みの大規模なコンサルタント会社もあるかと思えば、一匹狼のような人もいます。逆に言えば、儲けになる話があれば、必ずコンサルタント会社があると言っても過言ではないでしょう。
民間としてコンサルタント会社ではなく、大手企業などにいる技術者について触れませんでしたが、もちろん専門家として相応しい人たちが大勢います。ただ問題なのは、第一線で働く民間の技術者が国際協力に参加してくれるかどうかということがあります。本人にその気があったとしても、会社での仕事がありますから、現実問題としてかなり難しいといえます。
現実的には、専門家として相応しい能力を持った方が会社を定年退職され、フリーになったときがチャンスといえるでしょう。こういう形で国際協力に入られ、エネルギッシュに活躍されている方々を多く存じ上げております。
(つづく)